宮司のエッセー バックナンバー

過去のエッセー

平成23年4月以前の宮司のエッセーです。各年をクリックすると、その年のエッセーを見ることができます。

「無言の語らい」
 先日、映画「蝉しぐれ」を見に行きました。
不覚にも二度も涙が溢れてきてとても困りました。
一度目は、父の遺体を荷車に載せ文四郎が引いて帰るシーンで、急な坂道を登れないでいると「ふく」が駆け寄り、後ろから歯を食いしばりながらだまって押す所です。実際の重みと無念さの重みが伝わってきて、小生にはとても耐えられませんでした。「ふく」の健気な眼差しが何とも言えないものでした。
 二度目は、最後のシーンとなった、座敷の外と中で成長した文四郎とふくの無言での心と心の語らいです。現代だったら何か行動を起こしたでしょう。しかし二人は、目と目で会話をしていました。
 そして、とても気になったところが「欅御殿」での決闘のシーンです。
部屋の中に、ありったけの刀を集めていました。一人斬るごとに血糊が付いたり刃こぼれをして斬れなくなった刀を取り替えていました。これは事実です。小生は学生時代に居合道をしていましたので、巻藁といって青竹に藁を巻いたものを試し切りをしましたが、刀の歯は曲がるし刃こぼれはするし、とてもスパッとなど斬れません。ましてや、生きている人の肉や骨を何人も続けて斬れるはずがありません。
 結論として、60年前のあの戦争で、中国人を百人斬り競争をしたなどと言うのは、でたらめであることがわかります。
 戦争を直接体験したことのない世代がほとんどをしめる今、感情論だけで苦難を乗り越えてきた我々の先人を斬り捨てては行けないのです。

平成17年11月24日打つ

平成17年10月の宮司言の葉
「柳のような手」
 唐突ですが、先日小学校に通う四女(二年生)が左手を怪我をしました。体育の授業をしていた時に、跳び箱で手のつき方が悪く「グキッ」といったそうです。きっと、弱弱しい助走でおそるおそる手をついたのでしょう。
 すぐに担任の先生と保健室に行き適切な応急手当をしてもらい、整形外科にかけこみました。レントゲンの結果、骨に異常は見られず「折れる所を、折れないで柳のように骨がしなった」状態なのだそうです。
 医師によれば、偏った食生活の子供だったら「堅く弱い骨」なので、少しの衝撃でも折れていたのが「柔らかい骨」だったために「しなった」のだろうというのです。
堅くなってしまった大人の骨の感覚ではとても考えられませんが、人間の身体とは本当に不思議なものです。
 それからの娘は、ギブスをしたまま哀れな格好でしばらく登校していました。
毎朝昇降口で子供達を迎えてくれる教頭先生が、「賀代子ちゃん 手は大丈夫」と声をかけて頂いたそうです。(児童数750名もいる、いわゆる大規模校)
 そして2週間の後、ようやくギブスがとれると「手が治りました」と、教頭先生や保健室の先生に報告をしたそうです。
「跳び箱をする前に昔は馬跳びをして遊ばせたものだ」と心配して頂いた校長先生にも「治ったよと、報告をしたよ」と言っていました。(小生に似ず積極的な娘です)
 不自由で痛い思いをした娘はきっと、「自分は大勢の人に見守られている」と安心感をもって学校に通っているのだと思いました。とても良い勉強をしたことでしょう。
 
 この度の話題は、私ごとで恐縮です。
良くわからない郵政解散は排除と刺客戦法の自民望外大勝利により人間として疑問をもつチルドレン大量発生。
でも、子ども達よ! とてもいい先生もいるよ。
平成17年10月8日打つ

平成17年1月 年頭の御挨拶
 平成十七年の年頭に当たり謹んで皇室の弥栄を寿ぎ奉り国の隆昌と崇敬者の皆様の御清福をお祈り申し上げます。

<自然の脅威>
昨年は営々と築いてきた歴史・財産が、一瞬にして崩壊してしまうという大自然の脅威を思い知らされた一年でありました。あらためて人間の力の限界を感じざる得ません。 

<御逝去>
二月二十八日、私たちの殿様酒井忠明様が御逝去なされました。清い涙雪が振り続く三月四日、当荘内神社参集殿におきまして葬場祭・告別式が執り行われ一五〇〇名余の市民がお別れのお参りをされました。忠明様はその御存在をもって、私たちに庄内人としての誇りをお教えいただきました。
 酒井家では、悲しみの中にも御子息である(財)致道博物館館長酒井忠久様が十八代をつつがなく継承されました。

<参拝>
様々な著名な方々が当社に参拝いただきました。
 六月五日には(宗)立正佼成会会長庭野日鑛師が令夫人と共に正式参拝され、わずかの時間でしたが、世界の平和の危うさと日本の精神的混乱の危機について小職と懇談致しました。
 十月十六日には徳川宗家十八代恒孝公が次女典子嬢と共に正式参拝され、社宝「江戸城二の丸大太鼓」(市指定文化財)を御自ら打って頂きました。
 振り返りますと昭和六年十月八日十六代家達公、昭和二十二年十月二十四日十七代家正公に続きましての徳川宗家の御参拝となり、正に御神縁を感じます。

<祭り>
八月に齋行されました恒例の荘内大祭では、松山藩荻野流砲術隊が、実に一三〇年ぶりに本藩での披露が実現し、本物の迫力に感激しました。又、「おくねり」を三十年ぶりに藩主御縁の順路に変更され、市民の皆様のお蔭で城下町に相応しいお祭りとなりつつあります。

<修復>
長年の懸案でありました大鳥居補修工事では、大正十三年に建立され八十年。昭和十八年に銅板葺きから現在の姿になって六十年が経過し、痛みが目立ってきたため、多くの皆様のご奉賛により補強、化粧直しを施され、四月三日に往時の美しい姿に見事に甦りました。
 参集殿の御屋根葺き替え工事が三十年ぶりに施され、台風襲来の前に完成しました。

<真心>
このように、皆様の真心の御崇敬のお蔭をもちまして、鶴ヶ岡城本丸址に創建されました庄内の鎮守として益々御神威が高まっております。
 本年もより良き年となりますように心から御祈念申し上げます

二  題
<今を斬る>
 子が親を、親が子を、はたまた夫が妻を、妻が夫の生命を絶つという何が何だかわからなくなるような悲惨な事件が頻発している。人の生命はリセットできないぞ。

<斬る>
テレビを見れば、昨日まで「俺は偉いんだぞ」と威張っていたあなたが、今日は深々と頭を下げる。「何を信じていれば良いのかわかんな~い」と非行に走る子どもたち。

<斬る>
世の中はどんどん便利になり安易になり、そして危うくなっていく。誰が誰の為にそんなことを。

<斬る>
「ゆとり教育」という美名で無理やり受け入れさせられた「お休み癖」と「薄く浅い勉強」。子どもたちは、ばら色の将来が来るかのような錯覚を覚えたが。生活時計が狂ってしまい「月曜ボケ」になっちゃった。その結果は意外にも?すぐに顕われた。「学力低下」という最悪のシナリオ。被害者はもちろん子ども達。親は、あわてて塾通い。これで良いのか。良いわけがない。

三  題
<元気を出せ鶴岡>
 郊外にどんどん経済が広がっています。当然、比例して中心はドーナッツのように空洞化して、しまいには廃れてしまいます。はたしてこの流れは正しいのでしょうか?
 駐車場も狭く道路も一方通行で通りにくい小さなお店ばかりの商店街。広い道路を通ってゆったりとした駐車場がある大きくて華やかな全国展開の郊外店。
 しかし、一見華やかに見える煌びやかなチェーン店も、完成するとすぐに大型店同志の生き残りをかけた熾烈な戦いが始まるという。商戦に破れた店はさっさと撤退するしかないのです。残ったのはぺんぺん草の生えた空き地と、食い荒らされ無くなってしまった中心商店街。

 その時に初めて私たちの身近なお店が無くなってしまった不便さを嘆くのでしょう。近所の八百屋さん・魚屋さん・お肉やさん・荒物屋さんの有り難さがわかるのです。
 でも、それからでは遅いのでは。

地元のお店で買い物をすることは、地元の力になります。そして自分のためになるのです。地元のお店を、子どもや孫たちのために応援しようではありませんか。

 鶴岡には共通商品券「藩札」があります。

平成16年1月1日号
 平成16年の年頭に当たり謹んで皇室の弥栄を寿ぎ奉り、国の隆昌と崇敬者の皆様の御清福をお祈り申し上げます。
 昨年2月、神社本庁より神職身分二級昇進の辞令を承りました。まだまだ未熟者であり、身に余る辞令であります。この度の昇進は、不思議なご縁で亡き父と同じ45歳でありました。多くの皆様より祝福いただき、衣冠装束を頂戴いたし、春の大祭から身に着けて奉仕しております。
 今後は、「神を怖れ、正義を貫く」覚悟で神明奉仕に邁進致します。
 また、昨年9月には神社本庁より「本宗奉賛に関する研究会委員」の委嘱を受けました。「本宗」とは「伊勢神宮」のことであります。「神宮大麻」(伊勢神宮の御神札、当地方では、お伊勢さま・大神宮さまといわれる)が全国的に減体しているのです。ある調査では、神棚のある家庭は50%を割り込んだそうです。とうとうここまできたか、という感があります。
 酒井忠明様が「神棚や先祖に手を合わせる家庭は円満である」といつも話されております。このような麗しい習慣を世の中に広めていくことが神職の務めと思います。
 荘内神社では、「大鳥居」が補修の時期を迎え、皆様にお願い申し上げましたところ、早速真心の御奉賛をいただきました。ここに厚く御礼申し上げます。この春に工事に入る予定であります。
 本年も皆様にとりまして心豊かで御幸せな一年でありますように出羽之国荘内より御祈念申し上げます。

一 題
「子供の先生は自然と家庭」
 若草物語の父でもある小生は、長女の女学校でPTAの役員になっている。先日、その関係で「山形県教育委員会との教育懇談会」に出席した。
 その際、とても興味深いアンケート結果をお聞きしたのでここに紹介する。 文部科学省が平成10年に「道徳心・正義感」について小学低学年・高学年、中学生11,000人に対して実施したものである。「道徳心・正義感」の強い子供のほとんどが、以下の体験をしたという。
1、家事を手伝う 2、虫を捕まえる 3、太陽が昇るところ、或いは沈むところを親と一緒に見た 4、夜空の星を家族と一緒に見た
 一見すると自然体験や当たり前のようなことだが、それが子供にとって最も大切なことであるという強い相関関係が出された。このことは、今の子供に「道徳心・正義感」が欠けているということを文部科学省が認めている顕れであろう。
 小さい子供を育てている親たちは、自然体験や、家での役割を考えてみたらどうだろうか。
二 題
「自己を否定する子供」
 
 先頃、(財)日本青少年研究所が、日本・アメリカ・中国の高校生に以下について調査をした。
「自分はダメな人間だと思うことがある」
日本 73% アメリカ48% 中国 37%
「計画をやり遂げる自信がある」
日本 38% アメリカ86% 中国 74%
「あまり誇りに思えるようなことはない」
日本 53% アメリカ24% 中国 23%
「平日の家や学習塾での勉強時間」
日本 50分 アメリカ60分 中国 147分
「勉強はほとんどしない」
日本 51% アメリカ27% 中国  4%
皆様は、このような数字をどのように考えますか?
日本の子供よ、元気を出してくれ。
大人も歯を食いしばってがんばるからな。
良い年を迎えましょう。
せば。 12月3日打つ

平成15年11月1日号
一 題
御祭神酒井忠次公御墓所参拝
 10/22~23の両日、33名で京都を訪ねた。知恩院の奥高いところに、御祭神である酒井忠次公の御墓所があり、荘内神社関係者には初めての参拝がかなった。
 先求院の奥住職にの御先導いただき、忠次公が寄進されたという石段を登り、さらに山道を進む事5分、大きな丸みを帯びた墓標が2基。忠次公と奥様の御墓であった。 全員で参拝をすませた頃、しとしとと雨が落ちてきた。
 その後、忠次公を祭祀る先求院を参拝。奥住職により丁重なご供養をしていただき、さらに御住職のお計らいで御神体ともいうべき忠次公の御肖像掛軸を特別に拝する栄に浴した。
 お心のこもったあたたかいおもてなしに感謝しつつお寺を後にした。
 実はこの度の参拝は、19年前に小生の新婚旅行の折り、参拝させて頂いて以来であった。 -
二 題
平安神宮時代祭り特別拝観
 10/22には、荘内大祭の大名行列復活のお手本とさせていただいた「時代祭り」を5年ぶりに拝観した。
 今回は33名という大所帯の為、拝観席の確保は無理だと思っていたが、平安神宮の本多禰宜様の格別のご配慮により、65,000席の中で最も良い特別拝観席を用意して頂いた。(なんと同席には、日本画の大家平山郁夫画伯がいらした)
 さらに、京都新聞の取材を受けることとなり、驚いた事に翌日の朝刊にカラーで掲載されていた。時代行列はさすがに素晴らしく、明治時代から平安時代までの1200年間の風俗を居ながらにして2時間あまりで拝観できた。
 その時代行列も、平安京を造られた桓武天皇と京都最後の孝明天皇の御神霊をお乗した御鳳輦2基が中心の行列である。
 出発前には必ず行在所祭という神事があり、単なる仮装パレードではなく厳粛な行事である点を、今後の荘内大祭に活かさねばと感じた。 -
三 題
「4つの離さず」
 子供は宇宙人? 「キレル!」「ムカツク!」 なぜ?
 簡単に命を絶つ。自らも。他人をも。 どうして?
 子供が変わったのでしょうか?  違います!
 10月29日に高畠町で、神社関係者大会が開催された。
 宮崎義敬氏(神道政治連盟会長 山口県の神社の宮司様)が「日本再生の道」と題して講演があり、その中でとても共感する話があったのでここ記す。
 4つの離さず
  乳児  肌を離さず(母乳・添い寝)
  幼児  手を離さず(手料理・おにぎり)
  少年  目を離さず(我慢・冒険)
  青年  心を離さず
  結果  人の痛みわかる人間。
 現代は、 
  乳児 0歳児に人工ミルクを与える
  幼児 延長保育で手料理はなく、「チン」か「コンビニ」
  少年 何でも買い与える。ゆとり教育。1人でTVゲ-ム
  青年 怒らない。自由放任。
  結果 何を考えているかわからない -
 そうです。子供が変わったのではなく、親に(大人に)変えられたのです。
 製造責任者である私たちが本気で向き合わねば!
 いだましい(大切な)宝物たちよ、ぶつかりながら成長してくれ!
せば!!
11/1打つ

平成15年10月1日号
一 題
 城下町鶴岡の夏の風物である荘内大祭の写真展が、応募全作品が10月4日~13日まで当神社宝物殿で開催される。
 9月19日に写真工藝やおさか代表八尾坂弘喜氏が厳正に審査され最優秀に南正一氏の「献上」が選ばれた。舞姫が拝礼をしている時、一陣の爽風が袂を揺らした神々しい作品でした。他にも奴振りの妙技、凛々しい少年、整然とした武者、下可愛らしい舞姫、微笑みの美しい女人列、復活した盆踊り、幽玄な黒川能、哀愁漂う精霊流しなど過去最多となる81点の応募があった。
 入選作品14点と過去3回の最優秀作品の巡回展が下記の通り開催される。
  10/20~11/14 山形銀行鶴岡市岡駅前支店
  11/17~11/23 鶴岡市岡郵便局本局
  11/25~12/10 鶴岡市岡信用金庫本店
  12/11~12/19 鶴岡市役所
  1/10~1/25  荘内銀行本店
是非、ご覧下さい 
二 題
 鶴岡の街から、お店が一店、今日も一店と消えて行っています。
 若い人は、車に乗って郊外の大型店に行って楽しめばよいのかも知れませんが、高齢になった時、ちょっと買い物に行こうと思った時、近くにお店が無いのです。
 このまま行くと、近未来の鶴岡の街の中は、シャッタ‐が閉まっているか、サラ金のどぎつい看板が立っている死んだような街になっているのではないでしょうか。
 ついこの間までは、魚やさんも八百屋さんもお肉やさんも当たり前のように近所にあって、買い物かごを下げたお母さんが行き交っていました。今は、夜遅くまで休みもない大型店でカ‐ドを使わされて、ついつい不必要な物も買わされています。
 どこかまちがっている気がするのは小職だけでしょうか。 -
 この度、お店の人たちが心を一つにして、全市を網羅した形で初めて10/1から来年3/31まで有効の「一割お得な共通商品券」を発行しました。その名は「荘内藩藩札」で、現在350
店が加盟をしております。
 市民の皆様、鶴岡でがんばっているお店を応援しましょう!!!
せば!!
9/30打つ

平成15年9月1日号
一 題
 当神社最大の神事であり、城下町鶴岡の夏の風物「荘内大祭」が、8月14日~15日開催された。一言で言えば、「無事盛大に執り行われた」 一週間前から天気予報に一喜一憂していましたが、幸い両日共に小雨がぱらつく程度の曇天で涼しく凌ぎやすい天候でした。
 余りにも涼しかったため「一年で一番ビールのうまい日」ではなかったのですが、表舞台に参加して頂いた皆様はもちろん、裏方に徹して下さった多くの皆様のお蔭でとても良いお祭りだったと思います。
 このお祭りのために、400余名分の衣裳・道具の虫干しから、役割別参加者毎の仕訳、お弁当の手配、様々なアクシデントに対応する保険の契約、警察を始め許認可の確認、行列運行の奉仕の皆様・交通安全協会の有志の皆様・警備会社・庭燎奉仕のボ‐イスカウトの皆様との打合わせ、女人列は美容組合、武士参加者は婦人会の皆様の着付け講習、武道・芸能・盆踊り・灯篭流しなどの奉納行事の参加者との時間調整、三役奴振り・舞姫・少年隊の稽古などなど、数十回の会議と膨大な事務等準備をこなしながら、最後はお天気次第です。
 今年もまた宮司一人では何も出来ないこと、皆様の「誠心の力」を思い知らされました。
 祭りは、一年間準備をしてきたテストの結果のようであります。 
 沿道からは、「すばらしいのお」という声がかけられ、酒井忠明様からは「このお祭りも形が整ってきた」、富塚陽一市長からは「先人の歴史を感じる祭り」、井田敬治総奉行からは「荘内神社と市民が近づいてきた」と、それぞれ身にしみる有難いお言葉を賜りました。
二 題
 今年は記録的な冷夏でした。さらに日本国中に被害をもたらした台風や、東北を襲った地震もありました。
 8月31現在、我が庄内のお米の生育は「やや不良」となっていますが、秋の収穫に甚大な影響はないとの事です。地震の影響もなく、台風10号も郷土を避けるように過ぎ去りました。
 本当に有難い事です。
三 題
 8月26日、年配の女性と息子さんらしい立派な紳士がお参りされた。
 宝物殿を拝観されたので、小職が案内させて頂いた。大絵馬展を一通り説明が終わった頃、とても懐かしそうにご覧になっていたので、お尋ねすると、「私の祖父が荘内神社の神官だったのよ、名前は栗田寛士です」と言われた。
 早速、明治十年から今日まで一日も欠かさず記録している「社務日誌」をお調べすると、大正11年8月15日「社掌任命報告祭執行」(社掌は、今の職名では禰宜か権禰宜と思われる)とあり、昭和6年7月11日辞職願いと記載してありました。
 その間、大正11年10月24日の大鳥居竣工奉告祭を始め、主な祭典の祭員に「栗田寛士」の名前が記されており、確かに奉仕していた事が確認されました。
 女性は孫の中川宣子様で、紳士は曾孫にあたる中川洋氏でした。
 最後に名刺を交換し、今度はご家族で再びお参りして頂く事を約束してお見送りをした。
 御神縁を感じたひとときであった。
せば!!

平成15年8月1日号
「暑中お見舞い申し上げます」
 と言いたいところですが、今年の夏は暑くありません。7月に真夏日が1日もありませんでした。海の家は閑古鳥が鳴いています。採算が取れないと言って早々に店閉いをしたところもあるそうです。当然生ビールもあまり飲みたくありません。セミの声がほとんど聞かれません。いつもはうるさいほどの公園が静かです。助かるのは祭典中あまり汗をかかないことぐらいでしょうか。
 ちょうど10年前、平成5年も今年のような涼しい夏でした。
 8月15日に開催される「荘内大祭 大名行列」は、例年ですと玉のような汗が吹き出て、参加した誰もが「一年で一番ビールのうまい日」と言うのですが、涼しいお祭りでした。
 この年の記録的な冷夏が悪影響し、秋の収穫には甚大な被害となりました。
 11月23日の新嘗祭(にいなめさい:現在勤労感謝の日、新穀感謝祭ともいう)は、全国の神社で秋の実りに感謝するお祭りを奉仕しますが、お供えするお米がなくて、お祭りが出来ないという大変な事態となりました。
 驚いたことに、その年、日本の米びつが空っぽになりました。どの家庭にも世界の料理が食卓に上り飽食の時代といわれる今の日本です。すぐには信じられませんでした。
 しかし、それは現実でした。
 日本政府は、大切な食料であるお米が無くなるはずがないと、経済を優先させ、倉庫代をケチったために、備蓄米が底をついたのでした。何という危機意識の希薄さでしょう。この国を守るはずの政府がこうですから何ともお寒い限りです。
 それでも日本はお金だけはありましたから、緊急輸入をして急場をしのぎましたが、ここでも大失態を演じました。東南アジアからのお米が多少日本人の味覚に合わなかったのを覚えています。時の文部大臣が「このようなまずいお米は子供たちに食べさせられない。給食には不適当」と、のたまわったのです。
 東南アジアの国々では、彼等にとっても大切な食料であるお米を日本に緊急輸出した為に、価格が暴騰して一般市民が買えなくなり大変な事態となったのでした。日本ではあまり報道されなかったのですが、世界からは「金満大国日本の驕り」と揶揄されました。
 さて、今年はどうでしょう。8月に入って多少暑いと思われる日が続いていますが、まだ安心は出来ません。汗が吹き出るような暑い夏になることを祈念します。8月15日だけは涼しくなって凌ぎやすいように、などと不謹慎なことは願わずに。
  - ところで「髭剃り問題」には思わぬ反響がありました。
 「どうしたのですか」は良い方で、「宮司さんの顔が変」とか、「顔色が悪いけど病気ですか」、はたまた「誰だかわからなかった」、困るのは「若くなった」と言われる事です。(それでは、今まで何才に見えていたの?)
 人生、いろいろあります。
 夏風邪を早く癒して「大祭」に備えねば。  せば!!
平成5年7月1日号
「天狗の鼻折られる」 
 東北各地より140名ほど集まる「ある大会」で、パネリストとなりました。6県から1名づつ同じテ-マで10分間ずつ発表しました。私の順番は、最後でした。
 福島県が始まり、私が話そうと考えていた10項目の内3つが話されてしまいました。続いて宮城県、2項目言われました。次ぎに岩手県、1項目、さらに青森県、3項目が同じ。いよいよ私の考えてきた事が1項目だけとなり、秋田県の方の発表がはじまりました。「どうか私の言う事が残っていますように」祈るような気持ちで待っていました。秋田の方は年配の人で、横目で見ると、原稿用紙にびっしりと達筆で書いてあります。いわゆる稿録ができていたのです。かなりの厚さでした。悪い予感は的中し、マイクがいらないほどの迫力で猛然と講演会が始まりました。10分間はあっという間に過ぎ、最後の1枚を読み終わった時、会場は1時間を過ぎていました。
 そこで、私の番。その時の心境は?
*       話そうと準備したことが全て言われた。
*       直前の発表者がすごい人であった。
*       長時間となり、会場が「そろそろ飽きてきた」という雰囲気。
*       何とかしてこの場を盛り上げねば。
 私は、基本的にサービス精神が旺盛な方なので、いろいろと思い巡らし、何か気の利いたことを話そうと思いました。簡単に言うと邪まな心が働いていたわけで、「助平心」が出たわけです。
 先ず、「全て言われて何も言う事がない。結婚式の最後の祝辞のような心境です」と、笑いをとる。そして前の人を誉め殺しをしてしまいました。「大講演会のあとはやりにくい」などと言ってしまい、誰も発言しない話題を提供しようと、とっておきの話しをしたのです。
 その時の私は、知ったかぶりという鼻持ちならない失態を演じたことに気づかず、正に鼻高々だったのです。さらに、来賓に対して質問までしてしまいました。参加者からは、「さすがだね」「わかりやすかった」「あのことをとりあげてもらって良かった」などと言われ、それが御世辞であることにも気がつかず、持ち上げられていました。
 天狗になった私を救って下さったのは、本当のことを言ってくれた只1人の大先輩でした。
 先輩曰く「おまえは、話しがうまいと思っているかもしれないが下手だ」「何も言うことがなかったら、言うことがないと言って終われば良い」「先輩を侮辱する発言も悪い」「え~、あ~、う~、が聞きにくい」「間のとり方が悪い」と、手厳しく御指摘いただきました。
 本当にありがたい言葉でした。他県の人ではありますが、私にとって怖い人ができて、本当に良かったと思いました。
 最後に、大先輩から「髭落せ。それはまやかしだ。威しだ。男は素でいけ」と。
 その夜、ホテルの一室で髭を落としたのは当然の結果でした。

平成15年6月1日号
「子供たちよ、たくましくあれ」
 若草物語(4人姉妹)の親として小学校に通算17年間お世話になるのだが、今年ようやく11年が終わり、中盤から後半戦に入りつつある。
 お陰で、PTAなるものにもどっぷりつかっている今日である。そのような中で、最近どうも気になることが多く見受けられるので記すことにする。
 どのような大人が名付けたのか、都合の良いとしか言い様のない言葉が学校では一人歩きしている気がする。 耳障りなのは、小生だけか。
 例えば「さぼり」と言われ、恥ずかしいこととされていたのが「登校拒否」となり、いつの間にか「不登校」、なんと「保健室登校」などという言葉まである。
 さらに、厳しい社会へ出て行く為の貴重な訓練の場であるはずの学生時代を、「ゆとり教育」と称して休みばかりが増え、その上勉強内容も薄く浅くなっていると言う。 学校で勉強したくても行かれない子供が世界には何千万人もいるのに、、、、。
 日本はいつから、大人から子供まで「総甘えモード」に入ってしまったのだろうか。
 「日本の継承者たる大切な子供たちよ、たくましく育ってくれ。」 その為には、大人がもう少し踏ん張らなければ。
(今年、小学校PTAに寄稿した文章です。掲載にならないかもしれません。)

平成15年4月号
3月27日、小生の神職身分昇級の祝賀会を参集殿で開いていただきました。酒井様、富塚鶴岡市長様、緒形出羽三山神社宮司様を始め、100名のお客様のご出席をいただき、皆様より過分なるお言葉を頂戴いたしました。今後とも「一意専心 神明奉仕」する決意を新たにした次第であります。
 4月12日、13日 鶴岡桜まつりが鶴岡公園護国神社前庭にて催されました。心配していた桜の開花は何とか間に合いましたが、両日とも風が強く小雨がぱらつき、肌寒い生憎の天気でした。人出も多くなく残念でしたが、岩手県よりお越しの着物姿のお客様数人に「鶴岡の桜はしっとりしていて良いですね」とお褒めの言葉をいただきました。毎月第2土曜日に開く「蚤の市」も重なり、境内は一日賑わいました。今年から、下山王日枝神社で第1土曜日に「山王の杜 土曜蚤の市」も始まることになり、骨董ファンにはさぞ嬉しいことでしょう。
 4月のある日、擬似西洋建築の大宝館(鶴岡公園南側・大正天皇御即位記念に創建)前にあるポストが、昔の丸型のものに生まれ変わりました。景観に配慮された郵政公社・鶴岡郵便局の御配慮に感謝いたします。
 彼国の戦争が事実上終わった。自分だけ安全なところから戦争反対を叫ぶ平和な国ニッポンの人々よ、自国を守る覚悟は出来ているのか。アブナイ独裁国家はもっと近くにある。心と体の鍵をしっかりかけよう。
 
御 報 告
 この度、神社本庁より2月1日付で2級昇級の辞令を頂戴致しました。
 思い返せば、昭和55年に皇學館大學を卒業後、東京乃木神社に奉職してすぐに父が急逝し、心の準備も無く由緒ある荘内神社の神職となりました。祖父が5年間宮司職引き継いでくれ、その間禰宜として勉強する時間を頂きました。27歳で伴侶を得ることを機に10代目の宮司を拝命いたしました。
 以来、御祭神末裔鶴岡市名誉市民でいらっしゃいます酒井様を始め総代の皆様に支えられ、浅学非才を省みず無我夢中で奉仕してまいりました。
 神道青年会では全国委員を2期5年間、全国理事を2期4年間に渡りつとめ、家族、神社職員に迷惑をかけつつ様々な勉強をし、友人ができました。
 神社では、御祭りの復興を第一に考え荘内大祭を興し、参集殿の健全経営、宝物殿の新築と展示、社報「神社はん」の発行、ホームページの立ち上げなどを、走りながら行ってまいりました。
 地元では、社会的な活動として保護司、調停委員を始め、観光協会や市の審議会委員などの役目を仰せ付かり、かなり生ビールの泡あふれ状態ですが、何とかこなしています。
 微力ながら、斯界の尖兵を担う気概だけは失わぬよう、多くの経験を積ませて頂きました。
 今後は、心を新たに神事の厳修と神威の発揚に努め、日本の将来の為に、「神を畏れ、正義を貫く」覚悟で「一意専心」奉仕してまいります。

平成15年新春号
平成15年の年頭に当たり 謹んで皇室の弥や栄えを寿ぎ奉り
国の隆昌と崇敬者の皆様の御清福をお祈り申し上げます。
 顧みますと、昨年は様々なことが起こった一年でありました。まずうれしいことは、第53回全国植樹祭が山形県で開催され、天皇皇后両陛下うが御臨席になられ、我が庄内鶴岡にも55年ぶりに行幸啓遊ばされました。多くの市民の皆様と共に御奉迎申し上げることができましたことは大きな喜びでありました。
 また、当神社最大の神事である荘内大祭が平成9年の台風での中止以来5年ぶりに雨となり御神幸渡御大名行列が危ぶまれましたが、御祭神酒井忠勝公荘内入国380年の記念すべき年ということもあり総奉行以下役員の総意により決行いたしました。参加された皆様には御苦労をおかけしましたが半年間準備してきたことを無事実行できた喜びは格別なものがありました。
 悲しむべきこともありました。べにばな国体(平成4年)のおり、致道博物館にお立ち寄りされました高円宮憲仁親王殿下が突然薨去されました。11月29日に斂葬の儀が執り行われましたが当神社では遥拝式を宮司以下神職が奉仕しました。
 世の中は不景気一色に染まっています。働き盛りの若者が就職できず、地位の高い人ほど毎日のように頭を下げています。このままでは次の世代にこの国の将来を託すことができません。いつも繰り返される民主主義のはき違えに対して、毅然としなければならないと思います。
 本年も皆様にとりまして心豊かで、より幸せな一年でありますよう御祈念申し上げます。

平成14年の年頭に当たり 謹んで皇室の弥や栄えを寿ぎ奉り
国の隆昌と崇敬者の皆様の御清福をお祈り申し上げます。 
 昨年12月1日。国民が斉しくお待ち申し上げておりました皇孫敬宮愛子内親王殿下が御安産にて御誕生の由、誠に喜ばしく、心より御祝賀申し上げます。
 振り返りますと、平成5年6月9日、皇太子徳仁親王殿下と小和田家の御息女雅子様が御成婚遊ばされました時、平安絵巻のような厳粛な神道儀式を始め、華やかなパレードがテレビというメディアを通して、即座に全世界に配信されました。皇室の麗しい伝統と国民の慶びに満ち溢れる姿を通して、日本が「天皇を中心とした神の国である」ことが世界中の人々に知らされた瞬間でありました。日本中が明るくなったことを、今でも感慨深く思い出されます。当鶴岡市でも御成婚の同日に祝賀行事を行いました。この度も、12月9日にご誕生をお祝い申し上げる行事が、酒井様を中心として多くの市民と共に行なわれました。光栄にも当神社が引き続き事務局を担わせていただきました。
 一方、世界はIT革命、平和と共存の世紀と浮かれていましたが、異文明の大衝突のような世界を震撼させるテロ事件が起こり、泥沼の戦争となっております。国内では、凶悪犯罪が頻発し、自己中心、無責任、そして何よりもモラルの欠落による世情の混乱は目を覆いたくなります。「道義国家」「恥の文化」と云われた日本は何処へいってしまったのでしょう。
 本年は御祭神酒井忠勝公が、ここ荘内へ入国されて380年の節目の年を迎えます。今後も出羽の国荘内の城下町にふさわしい神社を目指して奉仕してまいります。
 皆様には本年の心豊かでより良き年でありますように御祈念申し上げ、相変わらぬ御崇敬をお願い申し上げます。

平成13年12月号
「親が変わらねば」
 「もういくつ寝ると・・・」まもなく、老若男女を問わず誰もが挙ってお祝い気分にひたれる、年の始めの行事、お正月がやってくる。
 荘内神社でも、三が日で8万人もの善男善女が初詣に訪れる(あくまでも県警発表で、神社ではよくわからない)が、最近特に目に余る行為がある。いわゆる年越しの瞬間を待つ参拝者の中、一部の若者の傍若無人な振る舞いは、ほとほと困ったものである。あの若者達の「心のカギ」は一体どこで外れてしまったのだろうか。考察してみたい。
 数年前、当社の総代高橋氏より「宮司はん、なんぼになった」「はい。40歳です」「んだば、私の言うごとを聞いでくれの」と言われ、わけもわからず「はい」と答えると、それは、今まで考えたこともなかった「調停委員」の話であった。
 人格識見ともにまるで不足している私であったが、お世話になった人の強い要請でもあったので、ほとほと困り果てた。しかし、氏の「これからの宮司はんとしてのお仕事さ、とてもいい経験になるから引き受けてくださいの」この最後の一言で、若輩者で申し訳ない気持ちを抱きつつ、「あなたではダメ」と断られるまで、人生勉強のつもりで引き受けることにした。
 今まで、まるで縁のなかった裁判所に入り、数度の研修を受けた後、緊張の中いよいよ先輩委員と共に「離婚」の初調停に臨む。守秘義務があり詳述できないが、裁判官を含めた調停委員会で双方の話を公平に聞き、中立な見地から、時には「歩み寄る」ことを勧めながら、できるだけ合意の方向へもっていくというものであった。
 しかし、終わってみると、どちらも相手の「非」と自分の「利」だけを主張し、大切なDNAを継承する子供のことは二の次で、最後には条件(金銭がほとんど)ばかり言い合う。この自己虫ともいわれる利己主義の固まりになれる人間の多いこと。一回の調停に費やす2、3時間は精神的にかなりまいった。
 そこでいつも気になったことが、このような大人(親)に育てられた子供のことである。大人である当事者は自己責任で何とかなる。しかし、子供はかなりの確立で「心のカギ」をどこかに置き忘れてしまい、やがて青年となり、人の親となっていくのであろう。
 そのことを裏付けるようなことがある。「保護司」という仕事を、地元の先輩神職さんより勧められ、ある事件を引き起こしてしまった身青年の子供(保護観察処分という)と接している。最初に親が同伴で訪ねてくるが、ほとんどの親が「保護司の先生に全てお任せします」と言われる。子供の問題行動は往々にして家庭の中に遠因があるのだが。
 家が単なる「ねぐら」に過ぎず、「安らぎ」が無く、何らかの「溝」が生まれている。「家族の絆」がどこかで切れてしまっているのだ。せめて「一緒に見守っていきたい」と言ってほしいものだ。
 七五三祝祭の祝詞の中で「身を立て家業を整え良き国民と世の為人の為に尽くし仕え奉らしめ給い」と祈り、「お父さんのように立派に、お母さんのように優しい人になって下さい」と、子供に(親にも)話さずにはいられない。
 なぜなら、今の若者の無軌道な行動は私達親の「鏡」であり、このままでは日本が沈没してしまうから。私達が変わらねば、と思う年の瀬である。

平成13年10月号
 世の中が暗い。とてつもなく暗い。神主である私が言うのも変だが、いつか流行ったノストラダムスの何とやらのようだ。あの高層ビルには80ケ国、6,000人以上の人がまじめに働いていたわけで、突っ込まされた飛行機には、200人以上の全く無関係の市民が、恐怖の中に同乗していた。家族もいたでしょうし、夢もあったのに…。正に狂気としか言い様がない。犯人も、突撃して死を迎えることで、あの世に逝くと72人の妻を召とられると言う教えがあったとか。彼らも被害者の一人であろう。
 ある人は、イスラム教とキリスト教の宗教の戦いと言い、ある人は、文明と文明の戦いと言う。またある人は、富める人と貧困の戦いと言い、ある人は、一人勝ち超大国に対する蜂の一刺しとも言う。その全てが混在しているからだろうが。
 そして、今は静かな殺人マシンである生物科学兵器が、米国政府、マスコミにばら撒かれている。その情報が嫌でも入ってくるので、何とも言い様のない恐怖が全世界を包みこんでいる。ものすごく不謹慎な言い方だが、ある意味で超大国に立ち向かう、一小組織?の戦術として、これほど効果的な方法はないのではないか。よほど戦略に長けた人が背後にいるのだろう。
 世界中のそれぞれの一国を預かる孤独な最高責任者の方々の心中は察するに余りあるが、我が日本国の小泉総理も、辛く厳しい毎日を送られていると思う。(こんな非常事態でも、武器使用だの、事前承認だのとドタバタできるのは何故かしらん?)
 しかし、どうしてこのような、誰がみても賛同を得られないような異常な手段に出るのだろう。不思議な気持ちになるのは、やはり平和で自然も経済も豊かな日本に安穏としているからであろうか。あの果てしない内戦と厳しい自然環境、そして貧困にあえぐ人達が未だに2000年前のコーランだけを勉強している国柄である。我々が考えられないことを実行してしまうのも頷ける気がする。きっとギリギリまで追い詰められているのであろう。
 私は今回の事件で、自分の国を見つめ直し、守らなければならないもの。許してはならない事。逆に涵養の精神で許すべき事。譲るべき事を、国民一人一人が考える非常に良いきっかけとなったように思える。(そんな悠長な事を言っていることは出来ないとの声が聞こえてきそうだが)
 もちろん、日本人も犠牲になっているわけで、テロに対しては毅然として反対の態度を示すことは言うまでもない。
10月27日打つ

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