神社の歴史

藩主を慕う人々の想いから生まれた荘内神社
荘内神社が鎮座している所は、「鶴ヶ岡城」というお城の本丸御殿があったところです。
お城の跡地になぜ、神社が建てられたのか…?
その理由は、荘内神社の御祭神を見ると分かります。

荘内神社には、荘内藩の歴代藩主の中から4人の方が御祭神として祀られています。そもそもこの神社は、酒井家の歴代藩主を慕う庄内一円の人々の総意により、創建されたものなのです。

江戸時代の終焉と共に、荘内藩の政治が終わりました。その後にも人々の心に残り、祀られた酒井家の人々は、いったいどのような人物だったのでしょうか?
荘内神社の成り立ちの礎である、御祭神となった4人の酒井家藩主をご紹介いたします。
酒井家四柱―荘内神社の御祭神
初代・酒井忠次 酒井忠次

徳川家第一の重臣として、家康の厚い信任を受けていた忠次公。
江戸幕府の創業に功績を立てた武将を讃える徳川四天王・徳川十六神将のいずれにも、筆頭として名を挙げられています。

太鼓を打ち鳴らす酒井忠次

戦においては、織田信長から「背に目を持つごとし」と賞賛される戦いぶりで、桶狭間の戦い、長篠の戦いなど、歴代の重要な戦に参戦。
三方が原の戦いでは、武田信玄に大敗を喫してボロボロになった家康本隊を迎え、太鼓を高々と打ち鳴らして徳川軍の士気を大幅に上昇させ、敵を追い払いました。「酒井の太鼓」と呼ばれるこのエピソードは、忠次公がいかに信頼のおける武将であったかを物語っています。

また社交性に長け、教養も並以上。発言力・影響力も強く、私的な人脈もあり、外交官、参謀としても大活躍しました。

武将としての器量もさることながら、舞踊の技巧にも卓越していて、特に「海老踊り」と呼ばれる踊りが得意だったと伝えられています。重臣であるにもかかわらず諸将の前で踊りを見せ、大いに場を盛り上げたそうです。忠次公は、有能な武人であるだけでなく、人間的魅力に富んだ粋人でもありました。

酒井家次

幼少より家康公の家臣として仕え、父忠次公の後を受けて家康公・秀忠公を助け、支え続けました。
人心の安定を図り、徳川家の基礎を固め、国内和合の仁政に力を尽くした功により、越後高田10万石の領主に封ぜられ、酒井家の地位を安泰のものとしました。

三代・酒井忠勝 酒井忠勝

24歳で家督を相続し、元和8年に荘内14万石の領主として入国。領民の福利を考え、寛大な検地(現在でいう税金の納めをゆるめる政治)を実施。
また、11町商店街を開き、米札制度を創始するなど、「米の国荘内」の基礎を築き上げた人物です。

米礼制度とは?

家臣の碌米(給与として支給される米)を米札で支給する制度です。
米現物で支給しないことで、農民の年貢米の大部分を京都・大阪・江戸等の大都市へ販売することが可能となり、大きな利益を上げました。米商人の利益は莫大なもので、当時は酒田から積み出しされる米俵17万俵のうち、12万個が庄内米の米俵だったと言われています。

酒井忠徳が創始した藩校致道館 酒井忠徳

長く続く財政難で、まさに藩を挙げての危急存亡の時に家督を継いだ忠徳。江戸から本国に帰国するとき、その経費すら調達できないという知らせを聞き涙した、というエピソードが残っています。
当時の負債は8万~9万両といわれ、借金の利子だけでも年1万5千両に達していたと言われています。

忠徳公は農民や貧困武士を中心にすえ、富商や地主層の多少の犠牲は構わないという一大決意をもって改革を進めました。農民に対しては藩からの貸付米の返済免除、借財棒引き、低利融資、諸費用の農民負担の全廃、など。家臣に対しては低利融資による高利負債の整理と、様々な施策を実行。なんと9万両の借金全てを返還し、逆に1480両の蓄えを築くにまで至ったのです。
災害時に備えた基金の設立もしていたため、天明3年(1783年)の凶作の際には備荒籾を放出し、餓死者を一人も出さなかったと言われています。
命の危機を救われた領民達の藩主への忠義心は、いっそう高まったことでしょう。
また、藩政を改めるには優れた人材が必要であるとして、藩校致道館を創始。名実共に、「教えの国荘内」の礎を築きました。

荘内神社創建へ
250年にわたる酒井家藩主による善政も、時代の流れの中、幕藩体制の終焉とともに終わりを迎えました。
しかし、その後も旧藩主を敬い慕う領民の気持ちは強く、明治10年(1877)藩主ゆかりの地である「鶴ヶ岡城本丸址」に、出羽之国庄内の産土神(うぶすなのかみ)、領民達の心の拠り所として荘内神社が創建されました。
以来、開運招福・家内和合・産業繁栄の神様として、多くの人々の信仰を集めています。
荘内神社敬神講社 詳細 荘内神社敬神講社

荘内神社は創建当初から現在まで、崇敬する多くの方々の真心によって守られてきました。これからも、庄内の繁栄に感謝しながら、一緒に荘内神社をお守りしていきませんか?

「荘内神社敬神講社」にご入会いただいた講員の皆様に、現在も神社をお守り頂いております。ご賛同いただける方々のご入会をお待ちしております。

鶴岡公園案内図 稲荷神社 荘内神社 護国神社 桜舞う鶴岡公園、県内随一の桜の名所に点在する酒井家ゆかりの神社
荘内神社は、酒井家の居城跡に整備された城址公園「鶴岡公園」の中にあります。

日本桜100選にも選ばれた桜の名所である鶴岡公園内には、荘内神社の他にも、酒井家ゆかりの神社が鎮座しています。

※左図の神社名をクリックすると、神社の説明をご覧いただけます
鶴岡護国神社
春季例大祭

戊辰の役・西南の役に殉じた藩士の霊をお祀りするため、酒井家13代藩主酒井忠篤(ただずみ)公が鶴ヶ岡城御金蔵址に創建しました。
その後も、国の存亡をかけた諸外国との戦い(日清・日露・第一次世界大戦・昭和の未曾有の大東亜戦争)で、国家のために殉じた方々を英霊としてお祀りしております。

護国神社奉賛講社 詳細 護国神社奉賛講社

現在、この日本が成り立っているのは、国家のため、愛する家族を守るために力を尽されたご英霊のおかげです。
「鶴岡護国神社奉賛講」にご入会いただいた講員の皆様に、現在も神社をお守り頂いております。ご賛同いただける方々のご入会をお待ちしております。

御城稲荷神社

鶴ヶ岡城内に鎮座する神社で、お城時代の唯一の建築物です。
六代藩主酒井忠真(ただざね)公が、城内鎮守として社殿を建立されました。
明治に入りお城は取り壊されましたが、一般民衆の崇敬が厚かったため、廃社を免れました。
商売繁盛・五穀豊穣のご利益があり、たくさんの朱色の鳥居が特徴的でとても綺麗です。

御城稲荷講社 詳細 御城稲荷講社

御城稲荷神社は、現在でも地元の企業を始め、多くの崇敬者の方々によってお守りされています。庄内の五穀豊穣に感謝し、300年もの歴史あるお稲荷様を一緒にお守りしていきませんか?

ご賛同いただける方々のご入会をお待ちしております。

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