鶴ヶ丘城再建計画

鶴ヶ丘城再建計画案
御角櫓のCG(製作 はんどれい)

城下町らしさ

鶴岡は、長い歴史と深い伝統のある「城下町」です。
しかし「ここが城下町らしい」と言えるシンボルが今一つ不足しています。
たしかに鶴岡公園は御城址ですが、お濠や土塁の一部が残るだけです。

鶴ヶ岡城の歴史と経過

当地方の豪族 武藤氏が「大宝寺城」を修築された後、慶長6年に最上義光が居城とし「鶴ヶ岡城」と改められた。

元和8年(1622・今から388年前) 酒井忠勝公が庄内に入部、お城を拡張整備され本丸・二之丸・三之丸を内濠・外濠で区切り、内側に武士・外側に町人を配置する「町割り」をされ、天守閣を思わせる「二層の御角櫓(おすみやぐら)」が本丸と二之丸に建てられた。

しかし、明治時代の「廃城令」によって全ての建物が解体され、本丸址に荘内神社が、二之丸址に鶴岡公園が整備された。

史跡 鶴ヶ岡城御角櫓等復元調査事業

(当時は再建でなく復元と言っていた)
昭和59年、城下町のシンボルを再建しようとの機運が高まり、酒井正四郎 鶴岡市初代建築課長により、御城再建の答申が出された。江戸時代の古図の分析と実地測量に基づいた詳細な設計図と、積算額でしたが、成就することがなかった。(役所主導だったからか?)

鶴ヶ岡城 再建 市民プロジェクト(案)

第1段階(4年以内で再建)

【1】本丸二重御角櫓

木造二階建て・瓦葺き・石垣積み
延面積・・・28.42坪(93.786平方米)
高 さ・・・約15m
一 階・・・3間x4間
二 階・・・2間x3間

【2】矢狭間・鉄砲狭間付の塀

■日本古来の建築技法を継承するため、地元の工匠が腕をふるい、可能な限り地元の建築材を使って、できるだけ忠実に再建する。
明治の名棟梁 高橋兼吉翁 の後継者養成を目指す。
■工事費用 約1億2000万円(調査費・設計費・工事費・消費税)
(但し、事務経費・埋蔵文化財調査費は含まない)

第2段階(10年以内)

【1】建物の再建

二之丸御角櫓・多聞櫓、丸木橋・外北門・内北門・大手御門 等を、計画的に順次再建する。

【2】お濠の再生

数百年来の泥が堆積しているお濠は、夏場になると濁り悪臭がひどい。今以上に青龍寺川から清流を注ぎ入れて環境を良好にし、錦鯉を泳がせる。

【3】「鶴ヶ岡城公園」命名

■公園正面に酒井家16代忠良様が揮毫の「鶴ヶ岡城址」の石碑が建つ。台座を立派に作り直す。
■公園の名称を鶴岡公園から「鶴ヶ岡城公園」と正式に命名する。
■手入れが難しく見る人も少ないバラ園、1頭だけの孤独な盲目の老猿、狭い鳥小屋、風情のない用水路のような錦鯉鑑賞池、古くなった遊具類は役目を終えたと考え、全面撤去する。
■ バラ園跡地を、公園散策や藤沢記念館・大寶館の観覧者用の駐車場(トイレ・休憩所・土産店併設)とする。

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